2018年10月11日

父なる中国の子孫たちを代表する琉球独立党は聖書が広がらない国において「贄」として立てられた

クリスチャンはアジア及びノン・クリスチャンについて黙視している。
生ぬるいクリスチャンは論外だが、聖書を拒否するアジアでは特に、西洋の人々の他国への敵意の根本は絶対に理解されないだろう。
キリスト教に関わらず劣化左翼と呼ばれる人達は何でも侮蔑する「豚」とも呼ばれている。
あまりのひどさに私は大和民族としても呆れきっている。

日本へのキリスト教の布教はうまくいかなかった。
私は日本が嫌いな韓国人や中国人とは立場を異にする。大和民族だから。
クリスチャンだからという理由だけで一致運動をしかけられても困る。
この国には”よき仲介者”が現われることもない。
キリスト教が広がらないのだから当たり前だろう。
無能がいくら銅像を作っても、偶像崇拝もできない偶像となっている有様である。
塩気も何もあったもんじゃない。

無能とは、何でも「金 gold」に変えようと夢見る「錬金術師」である。
まともな堅気としてまじめに働くことを嫌うと批判されている半島人の話は沖縄でもさしてめずらしくない価値観です。身の程を知る代わりに抗うことを選んだのだ。

また、貧困左翼が労働を嫌う正当化にも使えるだろう。
「金」とは「カネ」のことである、”錬金”は悪い、働かないで「カネ」を得ることが正しいと勝手に考えたりもするだろう。頭のおかしい左翼の外道世界。

彼らに聖書など読ませれば、自分は労働という錬金をしてない、犯罪により得る裏金や不労所得は正しい収入とでも考える。
「だから世界基準」だの、果てはイルミナティがどうこうと言い始める。
下の下の下の世界を「基準」などと呼んでいいものかと普通は考えますが。
このように新しい全く無関係の言葉を引っ張り出せば返事になっている、わけない。
ということも、普通の人はそこまで考えないのでわからないことを、よいことにしている。
国民や一般大衆や「世はひどい!」という言い方で、自分は特別と思っている平均以下の連中である。

彼らの言葉のすり替え方はそれほど異常だ。
微妙な言葉や文を読み取らない。「脳」に問題があるのではないか。
聖書を勝手に読み、書き換えようとする左翼沖縄の連中の、労働についての価値観はこんなところで作られているのかもしれない。現代人の誰がこんな話をまともに聞き入れるのか。

国語力のなさである。
頭が自己都合でワガママに物事を考えてきた先祖の子孫達は物事を考えられなくなっている。
責任を回避したいからではなく、本当に思考力がないことについて外国から徹底的に指摘されてもいる。
二次大戦の時、日本がコミュニケーションを取れずに米国と結果的に戦争に至った話を読みなるほどと思えたのは、私が聖書を読んだからである。
日本人が「外国人とコミュニケーションが取れる」のは最低限のラインでの話(衣食住やSEXなどの話し。人として当たり前のことは「主義」とは呼べないのではないだろうか?)であり、かといって聖書を理解していない。

が、絶対に彼らは「理解している」というだろう。
抗ってもどうにもならないことは歴史上証明されたが、問題は「基地問題」などにもすり替えられている。政治の世界で闇雲に抗う連中が日本国民自身をも苦しめてもいる。

世界から戦争がなくなることはないと、まともなクリスチャンは話すが、平和ボケした日本民族はもはや「全体的な左翼」かもしれない。
彼らの若者がTVなどで「戦争したくない平和がいい」と、世界の不幸を面前に発言しているのを観たがあまりにも配慮に欠けている。
私は外国に召されているクリスチャンであるまともな大和民族である。
世界を眺め諸々を考慮すればアジア人とはまともにつきあたいとは思わなくなった。
左翼は「一緒にするな!」と言ったりするが、そういうことではない、ということが言葉なくして通じない。
彼らは「差別!差別!」と、延々地獄をさ迷うような活動をしたりもしている。

机上の話を物質の世界に持ち込むからイエス・キリストも殺したのである。
彼らの思考にはいつも「飛躍」や「無理」が散見されるがいかにもやりそうだ。
いろいろと細かく指摘することで国会を暗黒世界にもしたが、”そういう問題ではない!”ことがどうせ国民にはわからない、といってやっている、と私は冷ややかに眺めている。与党と野党の距離は果てしない。

日本へのキリスト教の布教はうまくいかなかった。この国には”よき仲介者”が現われることもない。キリスト教が広がらないのだから当たり前だろう。
父なる中国の子孫たちを代表する琉球独立党は聖書が広がらない国において「贄」として立てられている。
聖書を書いた使徒達の時代はとうに過ぎているが、彼らの一部が”聖書を書きかえた”としているのを耳にしたこともある。聖書は書きかえてはいけない。
左翼とはいつもこのように「抵抗」だけをしている多くの反キリストである。
正論や伝統や正当性を証明できない。

クリスチャンは多くの反キリストの異常性についてよく見極め考え祈らなければならないと私は考えるため記録を残している。
クリスチャンになると攻撃が増えると聞いたが問題はそこではない。
「そこじゃないだろう」「またか」「なんでそこ?」が、私の口癖のようなものだ。
私は子供の頃から人とは話がかみ合わなくていらいらしていたことについてもクリスチャンになりますます納得した。

アジア人は情緒の未成熟さについてよく西洋から指摘されているが私も全く同じことを指摘している。「一致運動」などは未熟者の運動の最たるものである。
日本国内の宗教施設(ミャンマーの瞑想を教える施設)でさえこの集団的なストーカー問題(一致運動)について取り上げている人もいる。
ただの「破壊活動」のことです。




続く。





ここに記録の文は他人の記述を拡散周知したものではありません。
私は各種宗教団体や政治団体及び結社などに所属していません。
著作権は放棄しておりません。


posted by in2002 at 07:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 多くの反キリスト
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/184657731
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック